前回の記事でブルックナーの交響曲第四番の版(ハース版と原典版)について記述した。
どちらもカラヤン指揮BPO演奏なのだが時期や場合によって異なる総譜を使用することがある、ということだ。

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楽譜の改訂はどの作曲家でもありうる話なのだが、ブルックナーはとりわけ改訂の多い作曲家だ。以前読んだものの本によるとブルックナーは自分の曲に自信が持てず、また実際指揮者に演奏拒否されたりしており、自作に手を入れることが多かった。(作曲家自身による改訂)また、場合によっては弟子が演奏機会を増やすために改訂(主に短縮)したバージョンがあったり、当時知り合いだった作曲家で指揮者のマーラーが自身が指揮するウィーンフィルの公演用に改訂したバージョン(第四番)が存在したりした。(出版はされていない)

作曲家自身のものを含めてかなりの改訂があるのを、改訂を取り去り原典に近づけようとする動きが1930年代に起こった。(国際ブルックナー協会の設立とロベルト・ハースによる原典版の策定)ただ、作曲者自身による改訂もあるのでどれを元にどのように復元するかという部分で恣意的なものが入り込む要素があった。この第二次世界大戦前に行われた原典版の策定は第一次全集版(または旧全集版)と呼ばれている。

戦後、レオポルト・ノヴァークにより再度原典版の策定作業が行われた。これはハース版には複数の稿を合成したり、折衷したり、(ハースによる)補筆作曲の疑いがある箇所があるとノヴァークが主張したことによる。ノヴァークによる原典版策定作業は第二次全集版と呼ばれている。

 

ここで注意しなければならないのは、どちらも原典版復帰の作業だということだ。原典版に対する版は改訂版である。

例えば交響曲第四番の場合最初に出版されたのは1888年、ブルックナーの監修のもと弟子たちが改訂を行ったものだった。これが改訂版である。出版されたのだからこれが広く流布した。改訂版は弟子たちの手が入ることによりブルックナーらしくないなど批判が多く、原典版策定の動機となった。
(この曲の作曲自体は1874年に終わっていたが、ブルックナー自身が1878年に改訂し、さらに1880年に大幅な改定を行った=これを第二稿とよぶ。ブルックナー自身はアメリカ初演のために改訂を加えた1886年版で出版を意図していたようだが果たせなかった)

 

前回の記事でカラヤンの第四番の2回目の録音(75年版)は原典版と書いた。ハース版もノヴァーク版も上記の通り原典版なのだ。だから原典版とわざわざ言う場合ハース版でもノヴァーク版でもないが改訂版ではないという意味合いになる。


カラヤンの第四番について詳しい解説がYahoo知恵袋の中にあったので引用させてもらうと…

2013年1月19日 ブルックナー交響曲の「原典版」表記について…(白い雑種犬さんの質問に対するベストアンサーから引用)
 

例えば、カラヤン指揮ベルリン・フィルの「交響曲第4番」。

EMIに録音した1970年の演奏は、「ハース版」ほぼそのままですが、その後DGに録音した全集の演奏では、第4楽章のシンバルや第1楽章のティンパニなど、「レーヴェ改訂版」の影響を受けた改変が行われています。
それでも、「厳密にレーヴェ改訂版ではなく、ハース版を底本にしている」ことが理由で、「原典版」と表記しています。

引用以上

カラヤンはこの五年の間に変節してハース版にブルックナーの弟子レーヴェたちが改訂した部分を追加して演奏することにしたということなのだ。ただ修正が微細なため改訂版でもハース版でもなく「原典版」という表記をした。カラヤンがそうした理由はわからないが、曲としてそのほうが良いという判断があったのは間違いのないところだろう。

現在も決定版といえるものがなく、演奏者の判断(または好み)でいろいろな版で演奏、レコーディングされている。版が違ってもブルックナーの意図は伝わっている、と信じたいが・・・